“学問の神様”全国天満宮総本宮「太宰府天満宮」

福岡県太宰府市宰

●「太宰府天満宮」とは

太宰府天満宮は全国天満宮の総本宮であり、道真公の御墓所として唯一無二の聖地「菅聖庿(カンセイビョウ)」と称えられています。

天満宮とは「菅原道真公」を祭神とする神社で、天満神社、天神社、菅原神社などと称するものも含めて、全国に1万社以上あるとされ、分社数では第4位の多さとなっているそうです。

これらの天満宮の総本宮(総本社)が、京都の「北野天満宮」と、福岡の「太宰府天満宮」で、「天神さま」という呼び名は、菅原道真公死去後に贈られた「天満大自在天神(テンマダイジザイテンジン)」という神号に由来しているそうです。

●菅原道真公は、なぜ“学問の神様”なのか?

菅原道真が、学問の神様として信仰されていることは有名な話です。

では、学者であり、政治家としても活躍していた道真公が、なぜ“学問の神様”として信仰され、慕われるようになったのでしょうか。

その背景には、まず道真公自身が優秀であったことはもちろん、教育にも力を注いでいたことがあげられます。当時は、書物を書き写し音読する学習法が主流でしたが、道真公は、現代にも通じる要点を抽出して集中的に学ぶという学習法を採用しました。その結果、門下生から多くの秀才を輩出し、「龍門」と呼ばれる一代学閥を築きあげました。自分のための「勉学」を、国作りや人づくりなど社会のための「学問」へと発展させた道真公の功績や姿が人々を惹きつけ、「学問の神様」としての篤い信仰に繋がったと言われています。

●“文化芸術の神様”でもある道真公

道真公、天神さまへの信仰は、学問の領域を超え、平安時代中期頃には、「文化芸術の神様」として、室町時代には、鎌倉の禅僧たちにより「連歌の神様」「茶道の神様」として信仰されるようになります。これらに親しんだ豊臣秀吉や諸大名の信仰を集め、全国に天神さまをお祀りするお社は広がっていったと言われています。

江戸時代になると、藩校や寺小屋において「学問の神様」「子供の守り神」として更に篤く信仰されるようになりました。  また浄瑠璃や歌舞伎を仕事とする人にとっては「芸能の神様」、文字の読み書きを習う人にとっては「書道の神様」として、天神さまは、庶民の心に寄り添い続け、1100年経った現代においてもなお、“学問の神様”として信仰を集めているのです。

●ご利益とご祭神

「太宰府天満宮」では、御朱印所にて御朱印帳や直書き・書置きの御朱印をいただくことができます。2019年より太宰府天満宮の神社印、右上に菅原道真をまつる神聖な庿(=廟)を意味する「菅聖庿」の朱印が押されたデザインとなっています。

また、現在令和5年5月より約3年をかけ、124年ぶりに重要文化財「御本殿」の大改修が行われており、改修期間中限定の「仮殿」にて参拝することもできます。

太宰府天満宮の参拝と合わせて、参道で販売されている名物「梅ヶ枝餅」もぜひご賞味ください。

通常、みなさんの知っている梅ヶ枝餅は、白い生地の中にあんこが入った餅だと思いますが、道真公の誕生日(845年6月25日)と命日(903年3月25日)にちなみ、毎月25日限定で「よもぎ」の入った梅ヶ枝餅が販売されています。ほんのり薄い緑色の生地で、一口食べてみると、よもぎのいい香りが!

毎月17日限定の別のお味もぜひ、参拝のついでに食べてみて下さいね。

この記事を書いたのは…

竹千代と同伴した大人たち

2024年4月より中学1年生。「家康になりたい」を執筆してくれた、中学1年生(2024.5月現在)竹千代さんの続編「竹千代とめぐる御城印・御朱印の旅」です。実際に竹千代さん・竹千代さんと同伴した大人たちが訪れた場所をご紹介します。