第9回 おしゃれなシャレの掛詞

古典原文
大江山 いくのの道も 遠ければ
まだふみも見ず 天橋立

小式部内侍こしきぶのないし

現代語訳(小学生向け)
大江山に行くために通る
生野の道が遠いので
天の橋立の地を踏んでいません。
母からのふみ(手紙)も見てもいません。

「猫がねころんだ」「イクラはおいくら?」、これらは「シャレ」、時には「駄ジャレ」と言われ「くだらない・・・」と思われることもある表現ですが、昔は「掛詞かけことば」と言って、和歌で使われるきちんとした技法だったのですよ。

百人一首にもこの「掛詞」が使われている歌はたくさんあります。
一つの言葉の中に二つ以上の意味をこめるワザで、これによって和歌に複雑な内容をこめることができるようになったのです。昔の人にとって、シャレはおしゃれな表現でもありました。

この和歌の作者は小式部内侍こしきぶのないしと呼ばれる女の子です。
和歌の名人と呼ばれた和泉式部の娘で、当時は12~13歳。その彼女が歌合と呼ばれる大きな和歌の競技会に出ることになりました。
それをからかったのは、同じく和歌名人を父に持つ藤原定頼という若者。
彼は小式部内侍に「あなたの和歌はお母さんが代わりに作っているんでしょう?今回も天橋立にいるお母さんのところから、歌合用の和歌は届きましたか?」とからかいます。
そこですぐに歌ったのがこの歌です。小式部内侍がその場で作った見事な和歌に、定頼は逃げ出してしまいます。

この和歌の「いくの」という言葉は、
京都から天橋立に向かう時に通る「生野」という地名と、
「行く野(の道)」という二つの意味がこめられています。
これが掛詞です。

もう一つ、「ふみ」という言葉にも「ふみ(手紙)」「足を踏み入れる」という意味の「踏み」の二つの意味が込められています。
掛詞が二つ使われているだけでなく、この和歌には他にもさまざまな技法がこめられています。そんな和歌をすぐ作れるのだから、小式部内侍も相当な歌上手ですね。

ダジャレを「くだらない」なんて言わないで、せっかくのお正月、ダジャレ大会もいいかもしれません。掛詞をうまくつかって話をしてみては?
また、お正月の機会に、好きな百人一首を一首選び、どんな言葉の工夫や技法が使われているのかを調べてみるのもおすすめです。

百人一首に収録されている、有名な大江山の和歌です。詠み手の小式部内侍は、恋多き女性としても、歌の名手としても有名な和泉式部の娘です。
母親に似て才知に富み、この大江山のエピソードでは、歌合に出ることになった際、藤原定頼のからかいに対して、当意即妙な歌で逆にやりこめています。
ただこの将来を期待された小式部内侍は早くして亡くなってしまい、母親の和泉式部が悲しみに暮れる歌を残しています。

前回に続いて百人一首を紹介しましたが、お正月にはミニ百人一首で遊んでみるのもおすすめです。
取り札を十首、読み札を十五首(うち五首はハズレ)ほど用意して遊びます。取り札の中には、ぜひお子さんやご自身のお気に入りの和歌を入れてみてください。
さらに、今まであまり意識していなかった一首が、新たなお気に入りになるかもしれません。

記事作成者

長尾 一毅 (ながお かずき)

合同会社Accompany 代表

15年以上にわたり小・中・高校生の国語指導を担当。読解力こそ全教科の基盤と考え、集団授業から個別家庭教師まで多様な教え方を実践し、生徒の理解度に応じた指導を行う。脳科学の知見を交えた問いかけと対話を重ねることで、「自分で考え抜き、答えを導き出す」習慣を育む指導に定評がある。