※今回は、小学生Aさんが自分で記事を書きました※

今日は「桶狭間の戦い」での徳川家康の動きをご紹介します。

「桶狭間の戦い」は1560年に桶狭間(愛知県名古屋市と豊明市にまたがる地域)で織田信長と今川義元の間で行われた戦いのことです。この戦いでは、尾張の小さな国の一大名だった織田信長が、「海道一の弓取り」と言われるほど強い大名だった大名の今川義元を破りました。なんと、徳川家康はその今川義元の人質だったのです。

今川義元は、織田信長のいる尾張の国を手に入れるために、人質であった徳川家康に大高城を助けるよう命令しました。大高城は、織田信長を攻めるために今川義元が築いた城です。その大高城は織田方の砦に囲まれて、兵糧(食べ物)がなくなっていたのです。徳川家康は、決してたやすくないこの仕事を見事にやってのけました。

しかし、ここで思わぬ知らせが入ります。

今川義元が織田信長によって討たれたというのです。

今川義元が敗れたという知らせを聞いた徳川家康は、自分が生まれ育った岡崎城に向かいました。しかし、すぐには岡崎城に入らず、近くの大樹寺に留まりました。徳川家康は人質として今川義元の下にいましたし、岡崎城には今川方の城代(城を守る人)がいたからです。

今川義元の跡継ぎの今川氏真から「勝手に城を奪った」と、とがめられるかもしれなかったので徳川家康は慎重に動いたのです。

岡崎城

その後、城代が城を捨てて逃げたので、徳川家康は無事に岡崎城に入ることができました。
こうして今川から解放された徳川家康は独立したのです。

岡崎の地で独立した徳川家康は、桶狭間の戦いでは敵だった織田信長と手を結びました。この同盟が結ばれたのが清洲城だったことから清州同盟といわれています。(清洲城は愛知県清須市にあります。)

この同盟は、織田信長が本能寺の変で亡くなるまでおよそ20年間も続きました。

この記事を書いたのは…

竹千代

小学6年生。小学校低学年のときに歴史漫画「徳川家光」を読み、特に戦国時代に関心を持つようになる。
魅力的な戦国武将がたくさんいる中で、最初に読んだ徳川家光の祖父、徳川家康が自分に何かが合っていると直感で感じた。