【第10話】長篠の決戦

※今回も小学生Aさんが自分で記事を書きました

前回紹介した三方ヶ原の戦いで、家臣たちの活躍により生き延びた徳川家康でしたが、追い込まれていることに変わりはありません。勢いに乗った武田軍でしたが、なぜか撤退を開始しました。武田信玄の体調がすぐれなかったからです。

そして武田信玄は病死し、武田軍は大黒柱を失いました。徳川家康は絶体絶命のピンチを切り抜けたのです。

徳川家康は、武田信玄が亡くなったことで武田家が弱体化したと考え、奪われた領地を取り戻そうとしました。武田信玄の跡を継いだ息子の武田勝頼を見くびっていたのです。

ところが、武田勝頼は父に負けないほど強く、織田・徳川の城を次々と落としていきました。徳川家康はまたもピンチに陥ったのです。

武田勝頼

武田勝頼は、徳川家康をおびき出そうと徳川方の城である長篠城(愛知県新城市)を包囲しました。長篠城の城主は、案の定徳川家康に援軍を要請しました。
そして徳川家康は同盟相手の織田信長と共に長篠へ向かいました。

両軍は長篠で激突し、長篠の戦が始まりました。

長篠の戦いで惨敗した武田勝頼は、武田軍の建て直しを図りました。しかし、武田軍では裏切りや逃亡が相次いでいました。

追い込まれた武田勝頼は、重臣の小山田信茂を頼って岩殿城(いわどのじょう:山梨県大月市)に向かいました。しかし、小山田信茂はすでに織田信長に降伏していました。

逃げ場を失った武田勝頼とその一族は、天目山(てんもくざん:山梨県甲州市)で自害しました。

歌川芳虎「天目山の戦い」
東建コーポレーション所蔵

この記事を書いたのは…

竹千代

小学6年生。小学校低学年のときに歴史漫画「徳川家光」を読み、特に戦国時代に関心を持つようになる。
魅力的な戦国武将がたくさんいる中で、最初に読んだ徳川家光の祖父、徳川家康が自分に何かが合っていると直感で感じた。