【第11話】戦国最大の裏切り

※今回も小学生Aさんが自分で記事を書きました

武田勝頼たちが天目山(てんもくざん:山梨県甲州市)で自害し、武田氏が滅亡すると、織田信長は手に入った甲斐国(かいのくに:山梨県)、信濃国(しなののくに:長野県と岐阜県の一部)、駿河国(するがのくに:静岡県)のうち、駿河国を徳川家康に与えました。

ついに三河国(みかわのくに:愛知県)、遠江国(とおとうみのくに:静岡県)、駿河国の3国を治める大大名になった徳川家康は、お礼を言うため織田信長の居城である安土城(滋賀県)へ向かいました。安土城では織田信長に丁重にもてなされ、その時の接待役は明智光秀が務めました。

このことから織田信長が明智光秀のことを信頼していたことが分かります。しかし、中国地方を攻めていた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)から援軍を求められると、織田信長は明智光秀を中国地方に向かわせ、自身はゆっくりと京都の本能寺で準備をしました。

徳川家康は、安土城で接待を受けた後、堺を見物して京都に向かいました。

しかし、そこで驚くべき知らせが入ります。織田信長が明智光秀の裏切りにより、自害したというのです。

このとき、徳川家康はわずかな家臣しか連れておらず、織田信長と同盟を結んでいたので、命を狙われることになりました。徳川家康は、徳川四天王を中心とする家臣たちと共に畿内を脱出し、三河の国へ無事に帰ることができました。

明智光秀

中国地方を治める毛利氏と戦っていた羽柴秀吉は、主君の織田信長が自害したことを知るとすぐに毛利氏と和睦し、畿内へ引き返しました。

そうして、230kmもの距離をたったの10日で進み、山崎の戦い(京都府大山崎町から長岡京市)で明智光秀を打ち破りました。こうして、羽柴秀吉は敵討ちを果たし、存在感を強くしたのです。

徳川家康

三河国に逃げ帰った徳川家康は、織田信長の仇を取ろうとしましたが、山崎の戦いで明智光秀が死んでしまったので、領地の拡大を目指すことにしました。

織田信長が死んだことにより甲斐国、信濃国、上野国(こうずけのくに:群馬県)などが空白地帯となっていました。そして、同じく領地拡大を目指す北条氏政と激突したのち、徳川家康は甲斐国と信濃国を手に入れたのです。こうして徳川家康は5カ国を治め、100万石をこえるほどの大大名になったのです。

この記事を書いたのは…

竹千代

小学6年生。小学校低学年のときに歴史漫画「徳川家光」を読み、特に戦国時代に関心を持つようになる。
魅力的な戦国武将がたくさんいる中で、最初に読んだ徳川家光の祖父、徳川家康が自分に何かが合っていると直感で感じた。