original post : 2023/12/27

本日は、徳川四天王の最後の一人、井伊直政いいなおまさを紹介します。

井伊直政は、四天王の一人で最年少です。井伊直政がこどもの頃は、「女地頭」こと井伊直虎いいなおとらに育てられました。

井伊直政は、主君の徳川家康に才能を見出され、赤備えを受け継ぐよう命じられました。
赤備えとは、山県昌景やまがたまさかげという武将が率いた、武田軍最強の部隊のことです。甲冑から道具まで赤一色に統一された恐ろしい軍団でした。

しかし、武田家が滅び、山県昌景が戦死してしまったので、井伊直政が受け継ぐことになったのでした。こうして井伊直政は「井伊の赤鬼」と恐れられるようになりました。

豊臣秀吉は徳川家康を従えさせるため、人質として妹(朝日姫)と母(大政所)を送りつけました。その大政所の世話役として気に入られていたのが井伊直政でした。しかし、徳川家康が豊臣秀吉に従った後は、人質がいらなくなったので、大政所を大坂城に返すことにしました。

その警護役としてついていった井伊直政は、大政所同様に豊臣秀吉に気に入られ、大坂城の茶会に招待されました。
しかし、そこにはかつて徳川家康を裏切った石川数正いしかわかずまさがいたのです。井伊直政は怒り、豊臣秀吉のたてるお茶を断ったのでした。

井伊直政は、相手が豊臣秀吉であろうと、徳川家康への忠義を忘れない、忠義厚い武将だったのです。

井伊直政は、関ケ原の戦いで逃げていく武将を追う時に鉄砲傷を負い、その傷がもとで亡くなってしまいます。
武田の「赤備え」を受け継いで勇ましく戦い、どんなときも主君への忠義を忘れない武将でした。

以上 徳川四天王でした!

徳川四天王

徳川家臣団の大黒柱であった忠臣、酒井忠次

信頼が厚かった猛将、本多忠勝

真面目な性格だった智将、榊原康政

「井伊の赤鬼」と恐れられた忠義の将、井伊直政

この記事を書いたのは…

竹千代

記事作成当時小学6年生。小学校低学年のときに歴史漫画「徳川家光」を読み、特に戦国時代に関心を持つようになる。
魅力的な戦国武将がたくさんいる中で、最初に読んだ徳川家光の祖父、徳川家康が自分に何かが合っていると直感で感じた。