※今回は小学生Aさん直筆の原稿をもとにスタッフが記事として更新しています※

本日は、徳川四天王の最後の一人、井伊直政(いいなおまさ)を紹介します。井伊直政は、四天王の一人で最年少です。井伊直政がこどもの頃は、「女地頭」こと井伊直虎(いいなおとら)に育てられました。

井伊直政は、主君の徳川家康に才能を見出され、赤備えを受け継ぐよう命じられました。赤備えとは、山県昌景(やまがたまさかげ)という武将が率いた、武田軍最強の部隊のことです。甲冑から道具まで赤一色に統一された恐ろしい軍団でした。

しかし、武田家が滅び、山県昌景が戦死してしまったので、井伊直政が受け継ぐことになったのでした。こうして井伊直政は「井伊の赤鬼」と恐れられるようになりました。

豊臣秀吉は徳川家康を従えさせるため、人質として妹(朝日姫)と母(大政所)を送りつけました。その大政所の世話役として気に入られていたのが井伊直政でした。しかし、徳川家康が豊臣秀吉に従った後は、人質がいらなくなったので、大政所を大坂城に返すことにしました。

その警護役としてついていった井伊直政は、大政所同様に豊臣秀吉に気に入られ、大坂城の茶会に招待されました。しかし、そこにはかつて徳川家康を裏切った石川数正(いしかわ かずまさ)がいたのです。井伊直政は怒り、豊臣秀吉のたてるお茶を断ったのでした。

井伊直政は、相手が豊臣秀吉であろうと、徳川家康への忠義を忘れない、忠義厚い武将だったのです。

井伊直政は、関ケ原の戦いで逃げていく武将を追う時に鉄砲傷を負い、その傷がもとで亡くなってしまいます。武田の「赤備え」を受け継いで勇ましく戦い、どんなときも主君への忠義を忘れない武将でした。

以上 徳川四天王でした!

徳川四天王

徳川家臣団の大黒柱であった忠臣、酒井忠次

信頼が厚かった猛将、本多忠勝

真面目な性格だった智将、榊原康政

「井伊の赤鬼」と恐れられた忠義の将、井伊直政

この記事を書いたのは…

竹千代

小学6年生。小学校低学年のときに歴史漫画「徳川家光」を読み、特に戦国時代に関心を持つようになる。
魅力的な戦国武将がたくさんいる中で、最初に読んだ徳川家光の祖父、徳川家康が自分に何かが合っていると直感で感じた。